あれから20年、阪神淡路大震災の朝

いまの報道を見聞きすれば、阪神淡路大震災は、ともすれば神戸にだけ被害が生じたかのように感じかもしれませんが、兵庫県でも篠山といった丹波から播磨、摂津、京都にも被害は及んだ災害だと

当社のある箕面市でも被害が生じ、避難所でき、長らくそこで暮らさざるおえない方々がいらした次第です。

地震発生の日、その後の混乱などまるで去年のことだと思えるほどで、20年も過ぎたとは感じられないのです。

「大地震など余所のことで近畿では関係無い。」
おおかたの関西人が高をくくっていたなかで起きた地震は、私たちの暮らしに与えた影響はもとより、価値観にも少なからずの変更をおよぼすものでした。

さて今日のわが社、そんな大地震など無かったも同然に、いつもと同じ業務をこなしています。
午前9時に箕面市で全市一斉で防災訓練があったハズですが、その訓練に参加してるひとは見つかりませんでした。自主的訓練なので防災スピーカーが鳴ったりしないのです。

街を見渡しても、震災について考えているそぶりは感じません。同じように店は開き、電車は動き、車は走って、電話が鳴ります。

それぞれに悩みを感じたりするでしょうが、日々平穏に暮らしているように見えます。

こういう当たり前が実は価値ある暮らしと言えるのでしょう。

しかしそれは一瞬でほころびます。そしてその時を予知することは人間にはまだできないのです。誰しもその事実を知っています。顔には出していませんが。

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