新年のあいさつ --未来予想は楽しいですね--
新しい年を迎えて、人々は多様な期待をもつでしょう。
「今年こそ痩せる」
「今年こそ推しのライブに行こう」
「今年こそ家を買うぞ」
「今年こそ・・・・・」
希望は幾ら膨らまそうとかまいません。楽しいですし。
いままでの悔いや無念を晴らし、気分を変えるのため、「新年」というキーワードを活かして再スタートするのは良いことかもしれません。
漂う不穏な気分を一掃するためにも「新年を祝う」のは古人の知恵だったのかもしれないと、僕は思います。
新しい年を迎えると、マスメディアやネットメディアで多くのひとが予想をたてます。
専門家や素人を問わず、世情の動向、経済の動向などをたよりに、今年はどうなるかを予想します。
その予想どのくらい当たりますか?
たとえば昨年の今頃、為替予想は「1ドルは120円~130円の間くらい」という説が目立ちましたが、本日1月6日現在。1ドルは157円。
けっこうハズレてます。
スポーツ界に少し想いを巡らすと、昨年のいま、野球の大谷翔平選手が、これほどの大活躍を予想したひとが居たのかどうか?
手術をしたばかりの大谷選手は、ちょっと一休みのシーズンを迎えそうとの言説を見聞きした記憶が僕にあります。
数年前を思えば、新型コロナウィルスの発生なんてきっと誰独りとして予想しなかったでしょう。
いまの日本は海外から訪れる観光客の多さに唖然としてるひとが多いでしょうが、もしコロナ禍の最中、閑散としていたホテルのロビーで「2年か3年後、ホテルのロビーに外人客が湧くように訪れる」などの未来予想を立てたならば、「そんなあほな」と思われるのが関の山だったような気がします。
未来予想に熱心なまでに取り組もうと、当てになる予想など出てきそうな気がしません。
「どんな未来が訪れるのか」を予想しきれるほどに人間は賢くないようです。
それでも未来への関心はひとびとの心でそれなりのシェアを獲得している事案です。
お正月になると、神社仏閣で多くのひとがおみくじを引き、木々に結わえ付けてる姿を目にしますし、メディアに六星占術や西洋占星術の情報に増えるのは肌感覚でわかるかと思います。
なぜ、予想したがるのか。
不安だからなんでしょうね。
落ち着きたいと思っていてもそうは行かない。不安だから未来について関心を持つ。
でも当たらない。それが現実です。
どう変わるか判りもしない将来に対応しようとするのは無理なことです。多様な未来に充分な備えなどできるわけないのです。
備え切れない将来にどう対応するのか?
そんなときは、せめて「こんな未来は訪れそうにない」を考えると、選択すべき行動の焦点を絞ることができるのではないか。僕はそう考えます。
将来起きそうもないことに備える無駄を省く。それは生活の知恵だと思います。
たとえば数年先に、「少子化が劇的に解決し、若者が道から溢れるほどにウジャウジャいて、人手不足が円満解決する社会」は、訪れそうにありません。
消費社会の歪みを思えば、「1980年代末のバブル経済ほどに、札束が舞う派手な消費をする社会」も、来ることがまずないでしょう。
なんだか寂しい気がしますが、それが我が日本なんです。
未来が訪れそうもない未来の例をあげると
「携帯電話がなくなって、固定電話ばかりの通信環境」なんて、いまの社会はもう二度と変わることはなさそうです。
「電子決済は雲散霧消して、現金取引だけの経済」が主流になると述べるひとを見つけるのは至難の業と思います。
「結核が死の病に逆戻り」の世界はもはや想像できないでしょう。
悪いばかりでは無さそうな気がします。
わたしたちがどうであろうと、社会は変わります。それを進化や進歩と呼ぶかどうか、人類が望む方向かどうかは別です。
世の中は変わるのです。
嫌だと言っても変わってしまう。その変化に対応しなくては、不便で暮らしにくい生活を過ごすことになりそうです。
だからひとは、変化について行く。それしか手段がないのだと思います。
変化について行く技量が上手いか下手か、それが大事なんです。
「変化に対応してゆく能力」
その能力が優れていれば、怯懦することありません。そうとはいえ変化に対応する能力が充分あるなんてひとは殆どいないような気がします。せめて凡人のわたしたちは、心構えはしておくべきです。
「社会は変わる。自分は、それに合わせて変わる」
変化は起きます。こっちがどう思っていようと、自分にとって有利か不利かはわかりませんが、変わってしまうのです。
それにびびっていても仕様がありません。
永久普遍を期待するのは、心に宿す安心を求める気持ちからでしょう。
そんなのを探すのは時間の無駄です。
宇宙を探せば、どこかに永久普遍が転がっているのかもしれませんが、それを探し見つけるまでに人の命は潰えます。
頼りにならない未来予想に思いを巡らすくらいならば、軽く行動する気持ち主軸に据えて生きてゆきましょう。